おもやい版

感情が動いたものについてことばなり文章なりにしていきます。高垣彩陽さん関連がメイン。

朗読劇「私の頭の中の消しゴム」10th letter 4/29 橋本淳さん高垣彩陽さんペア 感想

観てきました!私は3回目、ちょっと久しぶりですが、薫:高垣彩陽さん、浩介:橋本淳さんの千穐楽を観劇してきました。

ストーリーは、出会って結婚したばかりの若い夫婦の妻が、若年性アルツハイマーを発症してしまうというもの。たくさん観劇しているわけではないのですが、きっとどのペアも、感情移入をかなりしながら演じられるのではないかと思います。それは、この脚本が持つ独特の力によります。

この脚本は、最初、お互いが書いた日記の、出会う前の部分を読みあって笑うシーンから始まり、出会ってから結婚、病気の重症化を経てクライマックスまでの夫婦の日記形式。時系列で日付を追いながら、こんなことがあって、こう感じて、どうしたかという日記の内容を台詞として掛け合っていきます。

実際に何を感じて笑い合い、喧嘩したのか、なぜコミュニケーションを失敗したのかが、お互いの日記を読み合わせていくからわかる。だから、演じる方にとっても、観る方にとっても感情移入しやすい脚本です。個人的にもの凄く好みのお話というわけではありませんが、そういう力がある舞台・脚本です。

朗読劇というスタイルで、読んでる様子がお客さんに見られている以上、演じる方は、日記に書かれていないことまで、すごく掘り下げる必要があります。この解釈の違いで薫と浩介の関係も微妙に変わってくるような脚本で、そこが面白い舞台なのだと思います。

私は今までに高垣彩陽さんの出演している回を2回みることができたのですが(高垣さんはこれまでに3回ご出演)、2014年の6th letterで、薫: 高垣彩陽さん、浩介: 東山光明さんを初見で観たときには気がつかなかったこと、

今回は浩介と薫、愛し合う2人ですが、それぞれが孤独な1人の人間であることについて気づかされました。

 2014年に初めて見たときは、いっぺんに処理しきれないほど、高垣さんの薫と東山さんの浩介の、むき出しの感情を受け取りました。若くて、仕事にも、必死で、結婚したばっかりで、ほんとに初々しくて。高垣さんと東山さんも、薫と浩介に体当たりで向かっているという感じで、感情がシンクロして泣いていて、私もぼろぼろ泣いていました。最後にはほんの少しだけ、救いと思えるようなシーンがあって、そこで「ああ、浩介と薫はなんて理想的な夫婦なんだろう」と思ったんです。それが私の場合の2014年6th letter。

 

今回、10th letter(2018年)薫:高垣彩陽さん、浩介:橋本淳さんの千穐楽ではもうちょっと広い視点で観ることができた気がします。冒頭でも書いたのですが、今回は薫と浩介、両方の孤独を感じました。

 

薫は12月7日に若年アルツハイマー症の可能性を告げられてから25日に実家に帰って、翌年5月19日まで、浩介にも両親にも会社の友人にも言えないで1人で抱えて悩むんです。もう重症化していて、忘れてしまうことで仕事でも日常生活でも知らないうちにエラーが起こっているのに、半年間も1人で抱えて、記憶も所々無くなって。

結婚前、浩介が過去を隠していたことについて「隠し事なんて」と言っていた薫が、自分の病気のことは、半年間も、浩介にも、両親にも、友達にも黙っていたその理由の一つに、薫の孤独もあるのかなとおもったんです。

今が幸せで、今を今の状態で少しでも長く過ごしたくて、浩介も仕事が順調だから、浩介をまた一人にしてしまうなんて、浩介には言えない。こんなにすぐ浩介と離れる、浩介を一人にするのがわかっていたら、結婚しなかった、って考えていそう。さらに、友人にも両親にも話せなかったのは、そこから浩介に伝わるかもわからないし、友人とも両親とも、意外と、そこまで心が通じていなかったのかも、という気もします。こんなに深刻な話、いざとなったら誰にも頼れない孤独。

病気について、いよいよ浩介に薬がみつかって、告白したとき、過去のことを隠していたときの浩介の言葉を引用するんですけど、高垣さんの言い方が子どもっぽさも含んでいたように感じました。

 

今度は浩介の孤独について。浩介は過去、母に棄てられたという記憶をもって、ずっと自分について後ろ暗さを感じながら生きてきました。浩介の孤独は薫と結婚する前に明らかになって、母に対する怒りを薫に爆発させるシーンがあります。母に棄てられた七夕の日にフラッシュバックして、橋本さんの浩介は息切れするまで怒り狂っていました。そこにいたのは棄てられた時の10歳の浩介に経年分の怒りがまとわれた状態の浩介。抜き身の妖刀みたいな。それを薫が諭すと同時に、痛みを分かち合ってくれました。

薫の病気の告白を聞いたとき、「忘れてもいいじゃねぇか」と少し叫びながら明るく言い聞かせるようにいう橋本さんの浩介は、薫がかつて浩介に「お金ならあるじゃない」と伝えたことばとリンクしていました。病気が重症化してきて、記憶とともに自意識もなくなってきた薫。しばらくして、ご両親が薫を引き取ると言いに来ていることが明かされますが、浩介はそれを断ります。記憶がなくなっていって、どんどん無垢になっていく薫の言動が、支えている浩介の心も抉るシーンがありますが、橋本さんの浩介は痛々しいまでに、声色も表情も明るく、ポジティブに徹してました。自分が愛している薫が感じられなくなることに、身を刻まれるようなつらさと孤独をギリギリと感じました。最後シーンを締めくくることばでも、橋本さんの浩介は、この後も薫を愛する人生は続ける、それは浩介にとって希望だと、明るく報告するように伝えるものでした。

 

孤独以外にも、橋本さん、高垣さんのことばや仕草から、浩介と薫の感情の機微をすごく多く感じました。お芝居やセリフというより、今、薫と浩介がいくつもの感情をもった「その瞬間」を見ていると錯覚するようなときもあれば、浩介がその日の日記を読んでいると思わせるようなところもありました。とくに後半、薫の病気がすすみ、ほとんど記憶をなくしてしまってからの高垣さんの演技は、日記かかれた、を「その日の薫の様子」みになっていって、薫という人が見えなくなっていく様子を残酷なまでに表現しきっていました。初日の終演の後に更新されたブログの写真の表情も、何か世を旅立ってしまったような、無垢で残酷な子供のような(てんし…)表情です。橋本さんの浩介からは、日記のその日と、日記を書いている感覚でイメージが流れ込んできました。それを、高垣さんも、橋本さんも同じ舞台の上で、脚本上、直接目を合わせて会話することなく、それぞれ別の次元の感情・感覚・仕草をお互い相手に合わせながらも、出し切っていて、何を言いたいかというと、橋本さん高垣さんすごい。(あまりのすごさに、表現が追い付かない)

 

以下今回好きだった表現のところ。

 

薫「お前っていうなよ 恋人でもないのに」

薫「ぁあああっ、もしかして私がくるかもと思って、待ってたんでしょ!」の最初のぁあああっ、が慌てているのとぎこちなさとおどけているのと合わさっていて好き

浩介の、痛みを感じる「寒い」

赤提灯が大きく揺れてから、全身の血が沸騰してかけよって「タクシーは こない」「車も 走ってない」から「世の中に…」の速度がとてもリアルだった。浩介の焦りと思考と判断のスピードが本当にリアルだった。

浩介の母との七夕のエピソードや、そのほかのところでも、浩介の怒りの表現

はあ?という感じで薫が諭すセリフを読みあげる

「お金ならあるじゃない、私たちが新しいお家を我慢する~」で思考が固まっていたのが、別の視界が開けたような表現。

薫「お疲れさま、そしてありがとう。」

一級建築士に受かったとき、上手になだれ込んだあと、後ろに体重を移動して、体を開いて笑顔を見せる喜ぶ喜びかた。浩介の大事な笑顔のシーン

薫「なあんて、ね?」

 ぽっけからスッと出した指輪を片手で斜めに差し出す

指輪をはめるときの身長差!!!!

壁の付箋を二人でよむ、浩介の声のトーンはあくまで明るい。でも身体表現はつらさがにじみ出ている。スケッチブックの渡し方。

 

薫「お」「え」「か」「き」

カーテンコール、最後の最後、強く薫の手を引いていく浩介

 

おわり